第4話  一瞬の闇


馬車に揺られて、どれくらいの時間が経っただろうか。
実際には半日くらいである。
だが、只馬車に揺られているだけというのは、とてもつもなく 長い時間が経っているように思えるものだ。



早朝にラコルニーを出発して約半日、太陽は真上で照りつけている。
まず一行が目指すのはロイス公国の東端、フェニーの町である。


つい先ほど御者役をベルトラムからコリンズに替わり、早朝から今まで 御者を務めていたベルトラムは馬車の中で休んでいた。


「あの…ごめんなさい」

「あ?」

ラシェルが唐突に謝ったので、訝しげな顔でベルトラムはラシェルの方を見た。

「なんだ?藪から棒に」

「誰も、馬に乗ったことがないの。ベルトラムさんとコリンズさんに任せっきりで…」

次の瞬間、ベルトラムは豪快に笑い出した。

「何を謝るかと思えば!そんなことか。俺たちはいつも交代でやってるんだからさ。 今まで用心棒にやらせたことなんかないぞ。用心棒ってのはいざって時に 役にたちゃいいんだからさ」

ベルトラムはそう言うとニカッと笑った。

「私、御者って何だか憧れますわ〜。あんなおっきな動物を自由自在に 操れるのですもの」

「お前が乗ったところで、馬は何も感じないだろうが…」

「むか。私はただ憧れるって言ってるだけですわ!これだから大精霊族ってのは。 ただ図体がでかければいいってものでもないですわ〜」

「なんだと?もう一度申してみよ」

「だいせいれいぞくは〜ずうたいがでかいだけ〜〜〜!!」

「ははっ、ツェツィーリエはいつも賑やかだねぇ〜」


召喚精霊3人の掛け合い?を横目に、 ベルトラムの一言でラシェルはさらに落ち込んだ。
(用心棒…大丈夫かな、私…)

ハウゼに強引に認めさせた割には、いささか弱気である。

(そりゃリューディガーにマチル=ソエハ、大精霊が2人もいるし、 ツェツィーリエも昔はお母様の召喚精霊として活躍したって聞いてるし…)

一度弱気になるとぐるぐると考え込んでしまうのは悪い癖だ。


「…ール!………ラシェル!」

名前を呼ばれていたのにも気付かずに、考え込んでいたようだった。

「あっ、えっ?!…はい?何でしょうか?」

「…なーんか、調子狂うな。そーいや実戦経験少ないとか言ってたか。
純粋な疑問なんだが…何でお前さんは精霊3人も従えてんのに、そんなに 実戦経験少ないんだ?」

「うーん…まず普段の生活で精霊が必要になることってないですよね?」

「まぁ、そうかな?」

「多分、聖女様がいらした頃の精霊使いと比べたら、本当に実戦経験
って少ないと思うんです。せいぜい森に入り込んだ賊を追い払ったりとか、 そういう時にしか…」

「はい、ストップ」

「え?」

「あー、俺が聞きたいのはだな。実際、精霊の力は普段はほとんど必要ない ってことだろ?普通は3人も契約してりゃ、それだけ精霊の力が必要ってことで、 それはイコール実戦経験も多いってことにならねぇか? 必要ないなら何で3人も契約した精霊がいるんだ?ってことだ」

「えっと、それはですね…」

ラシェルはしばらく次の言葉をためらった。父と母から意志を受け継ぐように 契約したツェツィーリエとリューディガー。そして、祖父を説得する為に 契約したマチル=ソエハ…。

ラシェルくらいの年齢で大精霊族を従えることが出来るのは、それだけで 優秀な精霊使いであることの証。リューディガーと契約が成立した時は、 森のエルフ達から口々に『さすがは大長老様のお孫様』と言われたものである。


ラシェルは意を決して話し始めた。


「…私は、他の精霊使いに比べたら、曖昧で中途半端な存在なのかもしれないです」

ベルトラムは黙って次の言葉を待っている。

「…ツェツィーリエもリューディガーも、元々は私の両親の召喚精霊でした。 ツェツィーリエは母の、リューディガーは父の…」

「じゃあ、お前さんの両親は…」

アーリクと同じように、召喚精霊のマスターが替わるということは、前マスター は亡くなっているか、もしくはそれに近い状態であると言うことである。
ベルトラムはアーリクが契約を破棄したと聞いて死期が近づいていることを 悟ったのだから、ラシェルの両親がすでにそういう状態だということも 理解したのだろう。

「はい。…8年前のことです。父も母も…」

「その、一度に、か?爺さんと同じように自分で契約を破棄して?」

「いえ、無理矢理破棄せざるを得なかったと言うか…」

「マスター=ラシェル」

リューディガーが気遣わしげな表情でラシェルの名を呼ぶ。
ラシェルはリューディガーに曖昧な笑みを投げかけると、さらに話を続けた。


「ベルトラムさん。私の両親は8年前、闇の者にさらわれたんです」

「……!」

ベルトラムはかすかに目を見開いた。

「当時の私はまだ幼くて…お爺様とメイジー…乳母はいましたが、両親を 失ったショックは相当なものだったんです。悲しくて、悲しくて、毎日 泣いていました。その内に、ふとあの子たちは今どうしてるのかなって 思ったんです」

「あの子たち?」

「両親の召喚精霊だったから、ツェツィーリエともリューディガーとも面識は あったんです。たまに遊んで貰ったりもして…心の中で強く呼びかけてみたんです。 そうしたら、ツェツィーリエと、リューディガーが呼びかけに応じてくれた…」


「…ベルトラム殿。勘違いしないで頂きたいのは、我々は同情心からマスター= ラシェルと契約を交わしたのではありません。実際、呼びかけがあった時点で、 それがどこの誰から発せられているのかはわからないのです。 私が契約を交わしたのは、ひとえにマスター=ラシェルの思いの力が強かったからです」

「…それは、私も同じですわ。精霊は、心が強いものが好きです。それが例え どんな願いであろうとも」

「…ラシェルは、どんな願いで2人を呼んだんだ?」

「それが、曖昧なんです。私も何を願ったのか…ただ強く呼びかけてみたんです。 どうして2人が来てくれたのかもわからない…。だから私は精霊使いとしては ちょっと変わってるのかな、って」

「マスターの願いは、正直私にもわからないですわ。いろいろな思いが入り乱れてて、 とにかく強い思いでした。私は引き寄せられるようにマスターの前に現れて、 それがたまたま前マスターの娘だった。それだけですわ」

「…そうだな。私も、同じです」

リューディガーがツェツィーリエの言葉に頷いた。



「ふぅん…そっか。なんか、悪いこと聞いちまったな」

ベルトラムはばつが悪そうに言った。

「大丈夫です。お父様やお母様のことを考えると未だに悲しいけれど… 私にはお爺様やメイジーや友達や… それに、この子たちがいるから」


「そっか…そうだよな、うん」

ベルトラムは1人で納得したように頷くと、ラシェルの頭をわしゃわしゃと 撫でた。

「ひゃっ?!」

「良い子だ、ラシェル。お前さんは良い仲間に囲まれて幸せだな」

「はい…」

くしゃくしゃにされた髪を撫で付けながら、ラシェルも柔らかに微笑んだ。






それからほどなくして、一行はロイス公国の東の端、フェニーの町に辿り着いた。

まだ太陽は真上でギラギラと照りつけている。

とりあえずラシェルたちは馬車から降りると、馬たちを休ませてやることにした。 こういった旅人たちの為に、町の一角には水飲み場が設けられていた。

旅人や馬はここで喉を潤し、また馬に水浴びをさせたりして、長旅に備えるのである。
アーリクは直射日光を浴びるのが辛いのか、馬車の中で休んでいる。



「それにしても、あっついですわねぇ〜」

ツェツィーリエは辺りをへろへろと飛んでいる。

「ほんとに、暑いねぇ。ツェツィーリエ、水浴びしたら?」

「そうですわねぇ〜、そうしましょうかぁ〜」

いつも以上に語尾を間延びさせながら、ツェツィーリエは水飲み場に向かって 飛んで行った。


「ははっ、大丈夫かよあいつ。蛇行しながら飛んでるぞ」

コリンズが面白いものでも見るように言った。

「まぁ、こっからちょいと東に行けばカタラム王国だからな。領土の半分以上が 砂漠で占められてる。カタラムに入ったらもっと暑いから覚悟しとけよ?」

ベルトラムがからかうように言う。


「さて、俺は馬たちに水浴びさせてくるよ。お前たちはここで休んでな」

「おう、頼むな」

「私もお手伝い致しましょう」

「なんとなく面白そうだからついてこうかな〜」

「…お前は邪魔をしそうだからついてこなくて良い」

「またまたぁ、そんなこと言っちゃって。いいでしょ〜別に〜」

「………」

コリンズとリューディガー、マチル=ソエハも水飲み場の方へ向かって行った。




「さて、と。そろそろ腹空かねぇか?なんか買ってきてやるよ」

「何から何までやって頂くのは申し訳ないので…せめて私が買いに行きます」

「…お前、この町初めてだろ?店の場所知ってんのか?」

「…知りません」

「だろ?迷われてもめんどくせーから俺が買って来るって。肉と魚、 どっちが好きだ?適当に買ってきちまっていいかな」

「そうですね、お願いします」






その時。





辺りが闇に包まれた。




「えっ?」

ラシェルは思わず頭上を見上げた。あんなに照り付けていた太陽が見えない… と、一瞬にして闇が消えた。



「……?ベルトラムさん、今の、何だったんでしょうね?」


返答がない。



「ベルトラムさん……?」





ベルトラムの声が返って来ることは、なかった。



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