第9話  ギュンター祭 3


「ファスティマ王国第1王子、ハイニ=アウリール=ファスティマ。グレイス公爵家第1女、カティーナ=グレイス。今ここに2人の婚約を認めるものとする。この者達に女神ベルンハルデの祝福あれ」

神官長の朗々とした声が、静まり返った神殿に響き渡る。


ギュンター祭の国王挨拶の数時間前、王都にあるアルタミア神殿でハイニ王子とカティーナ姫の婚約の儀が執り行われていた。アルタミア神殿の神官長から祝福を受け、2人の婚約は正式に成立した。


ファスティマ王国の貴族の中でも名門中の名門、グレイス公爵家。カティーナはその公爵家の1人娘である。この世に生を受けた瞬間から、未来のお妃候補として徹底した教育を受けてきた。年は18になる。婚約の年齢としては遅い方だ。これにもちゃんとした理由があってのことだ。

上流階級の子女は教育の一環として神殿に入り、神官や巫女の下で修業をするという古いしきたりがある。カティーナもそれに従い、12の時に神殿に入った。そして18になるまで神殿で修業をしたのだ。

18になったカティーナは6年間の修業を終えて神殿を後にし、婚約の準備を進めてきた。そして今日の婚約の儀に至ったというわけだ。

ハイニ王子とカティーナ姫、この2人は幼少の頃から何度も対面し、お互いを将来の結婚相手として認め合っていた。特にカティーナの方はハイニ王子の妃となるべく教育されてきたのだから、その思いは強い。
王族や貴族の婚姻はほとんどが政略的で愛のないものであるのに対し、この2人は幸せな方だと言えるだろう。


婚約の儀にはごく一部の近親者しか参列できない為、国民へのお披露目は別に行うことになる。ちょうどギュンター祭の日取りと重なったので、お披露目も国王挨拶と同時に行われることになったのだ。





「ハイニ、そろそろ時間だ」

ファスティマ王宮の奥深くに位置する、王太子ハイニの私室。その部屋にノックもせずに、ずかずかと入ってきた男。

正装に身を包み、灰色のビロードのマントを羽織っている。背は高く、よく鍛えているのか体つきは締まっている。茶褐色の髪に、モスグリーンの瞳。一見近寄りがたい雰囲気を漂わせている。

王太子を呼び捨てにしたこの男、名をヒューバートという。れっきとした貴族だ。カティーナの生家グレイス公爵家と肩を並べるほどの名門、フィランダー侯爵家の長男である。

名門貴族と言えども王太子を呼び捨てにしていい理由にはならないが、これには少し事情がある。ハイニ王子は26歳、ヒューバートは27歳と年が近いこともあり、幼い頃からよく一緒に遊んでいた。2人は言わば幼馴染みなのだ。

ヒューバートは現在アルタミア王宮騎士団の副団長という位置に就いてはいるが、実際にはハイニ王子の側近、話し相手的な役割を果たしていることの方が多かった。

そんな間柄なので、公の場でない限りは呼び捨てでも構わないという暗黙の了解があり、それに対して異議を唱える者もいなかった。



「…ハイニ?いないのか。ハイニ様、ハイニ王太子殿下はどちらに」

ヒューバートはからかうような口調で呼んだ。



「ヒューバートか。その呼び方はやめろ」

ほどなくして奥の部屋から声が返ってきた。

「呼んだらすぐに返事をしないからだろ」

ヒューバートはそう言いながら奥の部屋に歩いて行く。

ハイニ王子はヒューバートにそう呼ばれるのを嫌った。彼とは普通の友人として接したいからなのだろう。
それを知っているから、ヒューバートはハイニ王子をからかう時などはわざと丁寧な呼び方をするのだ。


ヒューバートが扉を開けると、すでに支度を終えたハイニ王子が窓際の椅子に腰掛けていた。侍女などは下がらせたのか、1人だった。

プラチナブロンドの髪は日の光を受けてきらきらと輝き、明るいエメラルドグリーンの瞳もより一層明るく澄んで見える。
金糸の豪華な刺繍が施された、白絹の晴れの正装を身に纏っている。その上には紫のビロードのマントを羽織っていた。高貴な身分の者、その中でも国王とその後継者にしか許されない色である。
正装を纏ったハイニは、すでに未来の国王としての風格を備えているようだった。



「時間だ、ハイニ。カティーナ殿の支度も終わったそうだ」

「ああ、ありがとう。すぐに行くよ。お前は先に行っててくれ」

「駄目だ。騎士団長殿にお前を迎えに行けとの命を仰せつかってきた。すっぽかすわけにもいくまい。彼は後が煩いからな」

「ははっ、確かに。彼はお前と違って仕事熱心だから」

「心外だな。ハイニ王太子殿下の御為、日々身を粉にしてお仕え申し上げているというのに」

ヒューバートは大袈裟に嘆く仕草をしてみせた。

「仕方ない。行くとするか」

ハイニは苦笑いしながら肩をすくめると、立ち上がった。





王宮の1室で、カティーナは大勢の女官達に囲まれていた。支度も終わり、部屋にいる者は口々にカティーナの美しさを褒め称えている。

結い上げられた亜麻色の髪は大粒の真珠で飾られ、髪と同じ色の瞳は微笑みを湛えていた。実年齢の18よりは大人びた印象を受ける。厳粛な場である神殿で6年間修業をしたからだろうか。

衣装はハイニと同じく白絹のドレスだ。婚約や婚礼など、晴れの衣装は白絹で作るのが基本とされている。

金糸で刺繍が施されているところまでは同じだが、ハイニの衣装と違うのは宝石や真珠が縫い込まれていることだ。姫君の晴れの衣装に相応しく、華やかなドレスだ。
カティーナほどの身分であっても、衣装に紫を用いることはできない。カティーナは深紅のビロードで織られたマントを羽織っていた。


「カティーナ様、そろそろお時間ですわ。ハイニ様はすでにテラスに向かわれたそうです」

部屋に入ってきた女官が告げた。

「皆さまをお待たせするわけにはいきませんね。私達も参りましょう」

カティーナは周りの女官達を伴って部屋を後にした。




テラスのある広間にはすでにハイニが来ていた。

「カティーナ」

ハイニはカティーナの姿を見ると、晴れやかな笑みを向けてくる。
カティーナはその笑みに、一瞬心を奪われた。

(今日ハイニ様と正式に婚約した…ああ、私は近い将来この方の妻になるのだわ。なんて幸運なことなんでしょう)

カティーナは思わず心の中で呟くと、ほんのりと頬を染めた。



ほどなくして国王、王妃、他の王子や王女達も広間に集まった。
テラスの下からは楽士達の奏でる音楽が聴こえ始める。


国王の側近であるウォレン卿が合図をした。 女官2人がテラスの方に進み出て、扉に手をかける。

扉はゆっくりと開かれた。外からは、ファスティマ国民の歓声が波となって押し寄せてきた。



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