「ベレニーチェは随分と忙しそうね。馬車にあんなに荷物を積んで……どこへ行くのかしら?」 窓辺に佇んで、外を眺めていた女性が呟いた。 外は、雪が降っている。何もかもが雪で覆い尽くされ、辺り一面は白銀の世界だ。部屋の暖炉は赤々と燃えていたが、窓辺にいると外の冷気が伝わってくるようだった。 「ファスティマ王国のアルタミア神殿に赴くのですわ」 しばらく間を置いて、傍らに控えていた女官が答えた。 「そう……」 彼女は視線を窓の外に戻した。 「あの…アルムート様……」 女官は彼女を気づかうような素振りを見せたが、それ以上は何も言わなかった。 このアルムートと呼ばれた女性こそが、現在の姫巫女である。名をアルムート=スラーヴァという。4年前に数多の神人族の巫女の中から選ばれ、姫巫女の位についた。 アルムートは艶やかな黒髪を肩の辺りで切り揃え、金糸で模様が施された白絹の祭服を身に纏っている。肌は雪のように白く、深い瑠璃色の瞳はじっと一点を見つめていた。 「相変わらず雪は降っているし……今から発っても、明日のギュンター祭には間に合わないわね」 ここ――ヒエロニムス神国は、大陸の最北部に位置する。その為か、1年中雪が降る。周りは海で囲まれている為、他の国に行くにはまず港まで行き、そこから船に何日間も乗らなければならない。そして1年中雪が降っているので、港に行くまでにも時間がかかった。 コン、コン。 ドアが遠慮がちにノックされた。 女官が応対に行き、しばらく何事かを話し込んでいたようだが、やがて戻って来た。 「アルムート様、お支度を。……神王様の御召しでございます」 女官が静かに告げる。 アルムートは目を閉じると呟いた。ついにこの時が来た、と。彼女は傍らにあった白絹の上衣を羽織ると、女官を伴って部屋を後にした。 ヒエロニムス神国の神都フリーデル。大陸各地に存在する神殿の総本殿、フリーデル聖殿が存在する都。フリーデル聖殿は神王が住まう所でもある。 そして、その聖殿に隣接して建てられているのが、パーリア巫女神殿。普段アルムートをはじめ多数の巫女が生活をしている所である。 アルムートとお付きの女官は、パーリア巫女神殿からフリーデル聖殿へと続く、長い回廊を歩いていた。他に誰もいない。2人の足音だけがコツコツと大きく響いた。回廊の空気はひんやりとしていて、身体の芯まで冷えるように寒い。 2人は終止無言だった。いや、女官の方は何か言いたげな表情を浮かべていたのだが、口を開くことはなかった。 謁見の間には神王はじめ神人族の神官、巫女、女官など多数の人が控えていた。 神王は、先代の聖女が逝去した時の神王イサアークから御世代わりしていた。現在はイサアークの息子ヒカシューが神王の位を継いでいる。 アルムートは神王の御前に進み出ると、跪いた。 「神王様から、お言葉がございます」 神王の傍らに控えている神官長が告げた。 長い静寂が続いた。 神王が、ようやく意を決したように口を開く。 「姫巫女アルムート=スラーヴァよ……。そなたの任を、本日で解くこととする。長い間ご苦労であった」 その場には一瞬驚きの声が上がった。だが、アルムート自身は驚かなかった。なぜなら、それはわかりきっていたから。遅かれ早かれ、この日が来ることを知っていたから。 ベレニーチェのように、最近いつにも増して各地の神殿に派遣される巫女や神官が増えたこと。それは、少しでも聖女を探し出す確率を上げる為だということ。お付きの女官達が、やけに自分を気遣うような素振りを見せていたこと。 そして……姫巫女の任を仰せつかってから4年も経つのに、未だに聖女を探し出すことが出来ないという事実。 「神王様のお言葉、謹んでお受け致します。4年間も多大なるご厚意を賜りながらも、未だに聖女様を探し出すこと叶わず。この不敬、深く深くお詫び申し上げます」 それだけ言うと、アルムートは御前から退出した。 パーリア巫女神殿の自室に戻ってから、アルムートはずっと窓辺に佇んでいた。すでに外は暗闇に包まれている。 「あの、アルムート様……。今晩のお食事はお部屋にお運び致しましょうか」 女官が遠慮がちに言った。 ずっと外を見つめていたアルムートが、女官の方に向き直る。 「あなたは今日まで、私に本当に良く尽くしてくれましたね。とても感謝しています」 「そんな、アルムート様……!」 女官の瞳から涙が溢れた。 「私は聖女様を探し出すというお役目を無事に果たせなかった。でも、あなたは次の姫巫女様にもお使え出来るように、私から頼んでおきましょう」 部屋には女官の嗚咽のみが響く。 「少し、1人にして下さい。お願い……」 未だ泣きじゃくる女官を下がらせると、アルムートはその場に座り込んだ。涙がとめどなく溢れてくる。声にならない泣き声。 姫巫女の任を解かれたことが悲しいわけではない。聖女を探し出せなかったという、自分の不甲斐なさ。数多の巫女の中から選ばれた自分、それでもお役目を果たせなかった悔しさ。 声にならない泣き声は、いつしかすすり泣きへと変わっていった。 |