第4話  王宮の家庭教師


現ファスティマ国王ハインリヒは、王妃レイチェルとの間に2人の王子と3人の王女を設けている。

上から順に王太子のハイニ第1王子、エルゼ第1王女、エミーリエ第2王女、アドル第2王子、そして末姫のクリステル第3王女。
ハイニ王子は御年26歳、クリステル王女は8歳とかなりの歳の差があるが、れっきとした兄妹である。


「マスター、今のところ御用もなさそうですし、いったん深界に戻りますわ。魔術のご講義で御用がありましたらまた呼んで下さいな」

ツェツィーリエはそう言うや否や、煙のように消えてしまった。


馬車は王宮の広大な庭で止まった。いつもは静まりかえっているのに、今日はやけに騒がしい。召使い達があっちへこっちへと忙しそうに走り回っている。

ラシェル達のもとに顔見知りの侍女が駆け寄って来る。

「ハウゼ殿、ラシェル殿。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

侍女が王宮内部へと導く。もう何回も来ているので案内など必要ないのだが、勝手に王宮に入るわけにはいかない。

「今日は皆さんお忙しそうですな」

「ええ、明日はギュンター祭ですから、その準備で大忙しなのですわ」

「ああ、もうそんな時期でしたかな。それは大変でしょう。盛大なお祭りですからな」

ハウゼは深く頷いた。

「一週間ほど前から準備に取り掛かってますのよ。ちょうど先回ハウゼ殿、ラシェル殿がいらっしゃった翌日から始めたのですわ。」

ギュンター祭はファスティマ王国初代国王のギュンター=ティル=ファスティマの生誕を記念して開かれる盛大な行事である。
このギュンター祭当日だけは特別に王宮の庭が開放され、普段立ち入ることの許されない一般民なども自由に出入りすることができる。

「クリステル様はとてもはしゃいでらして、大変楽しみにされているご様子ですわ。今日などは勉強が手につかないかもしれませんわね。」

侍女はそう言うと軽やかに笑った。

普通なら侍女ごときの身分で王女に対してこのような口を利くなどもってのほかだが、このファスティマ王宮では特に咎められることもなかった。寛大な御心の国王や王妃のおかげであろう。


王宮に入ると長く広大な廊下が続いていた。床はよく磨かれ、鏡のように光を放っている。天井は目が眩みそうなほど高く、両脇の壁には歴代国王の肖像画が飾られていた。

中央には大理石で出来た美しい女性像が2体、対になって並べられている。『暁の像』と『黄昏の像』と呼ばれる対の石像はひざまずくポーズをとっている。像の頭上にはファスティマ王家の紋章が掲げられており、石像の手は紋章を支える形になっている。
これは王家の紋章を太陽に見立て、永遠に沈むことのない太陽=永遠に栄える王家、を表していると言われている。


長い廊下を通り抜け、中庭を横切り、赤い絨毯が敷き詰められた階段を上がる。さらにいくつもの扉の前を通り過ぎ、突き当たりの扉の前でようやく立ち止まった。

「わたくしはこちらで控えておりますので、何か御用がおありでしたら何なりとお申し付け下さいませ」


部屋の中は絹の青いカーテン、青の絨毯、青のビロード地のソファといった青の調度品で統一されていた。壁に沿っていくつもの本棚が並べられている。部屋の中央付近の壁にはやはりファスティマ王家の紋章が掲げられていた。こちらは紋章のみである。
部屋の奥には扉があり、もう1つの部屋と繋がっていた。そちらも青で統一されている。

この部屋は王子、王女達が様々なことを学ぶ為の部屋で、青の書斎室と言われていた。青は知性の高さを表すとされる色で、王侯貴族の子弟の部屋には好んで青が使われていた。


ふいに廊下の方から話し声が聞こえたかと思うと、ほどなく扉が開いた。

「先生、お待たせ致しました。今日もよろしくお願いします」

律儀に一礼してみせたのはアドル第2王子。栗色の髪に、明るいエメラルドグリーンの瞳。まだ13歳ながらに、きびきびとした印象の利発な王子である。
師が自分より身分の低い者であっても、講義中は敬語を使わなければならない。

続いて部屋に入ってきたのは末の姫、クリステル第3王女。兄と同じ栗色の髪をローズピンクのリボンで結び、白のレースの襟がついた可愛らしいピンクのドレスを着ている。美しいすみれ色の瞳をしたまだあどけない王女だ。

「こんにちは、先生」

少しはにかみながらも挨拶した。


今ファスティマ王家で王宮家庭教師の下で学んでいるのはこの2人のみである。上の3人はすでに教育課程を修了している。

「では、早速始めましょうか。本日はアドル様は歴史を、クリステル様は魔術について、ですな」

「クリステル様、あちらの部屋でお勉強致しましょう」

ラシェルはそう言うと、クリステルと共に奥の部屋へ入って行った。


「アドル様。本日の講義内容は先回の続き、ファスティマ王家の代々の系譜について……」




講義を開始してから2時間ほど経っただろうか。アドルは熱心に系譜を書き写していたが、ようやくひと段落ついたようだ。ふと顔を上げた。

「……先生。まだ次の聖女様は見つかっていないのですね。どうしてなのでしょう?」

「そう、ですな。もう先代の聖女様がお亡くなりになってから10年の月日が流れております。その間に姫巫女様の交代は2回。最期に交代が行われたのはいつでしたかな、アドル様?」

ハウゼは逆に質問を投げかける。

「えっと……4年前です、先生」

「その通り。よく覚えていらっしゃいましたな。しかし2度も交代が行われたにも関わらず、未だに見つかっておりません。決して姫巫女様の能力が劣っている、というわけではないようです」

ハウゼはいったん区切って話を続ける。

「では何故見つからないのか?それは誰にもわからないことです。しかし、このままでは確実にこの大陸は破滅の方向へと向かって行くことになるでしょう」

「先生、どうすることもできないのですか?」

アドルは真剣な眼差しで師を見つめている。

「もちろん、各国の学者が集まって何度も話し合いをしております。しかし、解決策が浮かばないのが現状ですな。今のところほぼ決まっておるのは…また姫巫女様の交代とか」

「でも、それでは意味がないのでしょう?もうすでに2回も交代しているのに?」

「そうなのです、アドル様。交代をしたとしても、あまり望みはないでしょう。しかし解決策がない以上、こうするしかないでしょうな。新たに姫巫女の座につく巫女様にはお可哀想ですが…」

「でも……最初から望みがないのに交代するなんて……」

アドルはそれっきり黙ってしまった。




「クリステル様、今日の講義はこの辺りで終わりに致しましょう」

魔術の基本書を閉じながらラシェルは言った。

「はい、先生。ありがとうございました」

クリステルはぴょこんと頭を下げると、同じく本を閉じた。

「はぁ、終わったぁ」

「よく頑張りましたね、クリステル様。クリステル様は才能がおありです。精霊使いの私が保証致します。もうすぐ小精霊族を呼び出せるようになりますよ」

「えっ、ほんとっっ?!」

クリステルは目をきらきらと輝かせた。

クリステルはラシェルによく懐いている。今までの怖そうなおじさんやおばさんの先生とは違うからだろう。クリステルには2人の姉がいるが、彼女にしてみればもう1人姉が出来たような感覚なのだろう。

「ねぇ、先生。明日は……」

言いかけたクリステルの言葉をラシェルが遮る。

「クリステル様、もうお勉強の時間は終わったのですからラシェル、とお呼び捨て下さい」

「うん、あのね、ラシェル。明日はギュンター祭なのよ?」

「ええ、とても楽しみにしていらっしゃると侍女さんから伺いました。私はまだギュンター祭に参加したことがないのです。とても盛大なお祭りなんでしょうね」

「えっ!ラシェル!ギュンター祭を見たことないの?」

クリステルは心底驚いたというふうですみれ色の瞳を大きく見開いた。

「見たことないの……」

幼い王女は小声で呟いて何か考えていたようだったが、やがて名案が浮かんだとばかりに言った。

「ねぇ、ラシェル!今日は王宮に泊まっていけばいいのよ!いいでしょう?だって、とっても素敵なお祭りなのよ」

「でも、クリステル様……身分ある貴族でもないのに、そんな恐れ多い…」

「どうして?王宮にはたくさんの侍女さんや召使いさんたちがいつも泊まってるよ?」

「いえ、それとこれとは違います、クリステル様」

ラシェルは思わず吹き出しそうになりながら答えた。

「大丈夫よ、だって明日は王宮のお庭にいっぱいいっぱい人が来るのよ。ラシェルが泊まっても大丈夫なの」

何が大丈夫なのかわからないが、クリステルの言葉には有無を言わせない態度が込められていた。

「お父様にラシェルが泊まってもいいですかって聞いてきてあげる。だからいいでしょ?」

国王陛下にそんなことを聞くなどそれこそ恐れ多い、と言いかけたがすでにクリステルは部屋を飛び出した後だった。


明日は、年に1度の大きなお祭り。



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