第20話  マチル=ソエハ


「お呼びですか、精霊使いさん」


そのセリフと共にラシェルの前に現れたのは…大精霊だった。

男なのか女なのかよくわからない風貌だった。
整った顔立ちだが、中性的と言ってしまうのとは少し違う。 とにかく掴みどころがない飄々とした感じだった。

髪はかなり長く、腰よりさらに伸びている。色はごく薄いグリーンだ。
だが、彼を見た者が真っ先に注目してしまうのは瞳だろう。
この世界でサジェヘッダと言われる、左右で色の違う瞳をしていた。右が赤、左が 不思議な色合いの薄紫だ。

この大精霊の趣味なのか、やたらと装飾品を身に付けている。少し動くだけで ジャラジャラと耳障りな音を立てそうだ。


この大精霊の姿を認めた時、ツェツィーリエとリューディガーが明らかに反応 を示したが、ラシェルは全く気が付かないようだった。


「えっと…はじめまして。呼びかけに応じてくれてありがとうございます」

何と話し掛けたものか、とりあえずラシェルは軽く挨拶をしてみる。


「いえいえ、礼には及ばないよ、うん。僕が好きで来たんだから。ところで、ラリューシカに 行きたいんだって?いやー、今あそこに行きたがる人ってなかなかいないよねぇ。 精霊使いさんも変わってるね。こんな呼びかけに応じるのなんて僕くらいじゃない? あ、でも僕も興味はあったんだ。何しろ闇の者がごっそりさらってっちゃっただろ?それに…」


『僕』というからにはこの大精霊は男なのだろう。

いきなりベラベラとしゃべりだした目の前の大精霊に唖然として、しばらく 次の言葉が言い出せないまま数分。


「あ、あの!お名前聞いてもいいですか?私はラシェルって言います」

このままだとこちらなどお構いなしにひたすらしゃべり続けそうな大精霊に、思い切って聞いてみた。


「ん?ああ、ごめんごめん。まだ名乗ってなかったねぇ。精霊使いさんはラシェル、ね。 僕はマチル=ソエハって言うんだ。よろしく〜」

「はぁ…よろしく…」

相手のペースに飲まれていまいち調子が出ない。
と、その時。


「やっぱりそうですわ!」

「やはりそうか!」

ツェツィーリエとリューディガーが同時に叫んだ。


「え?…もしかして知り合いの精霊?」


「誰が知り合いですか!誰が!!」

ツェツィーリエが慌てて首をブンブンと振った。

「違うの?リューディガーは?」

「全く関係ありません」

「?じゃあ何で知ってるの?」


ツェツィーリエとリューディガーは顔を見合わせて気まずそうにしていたが、 やがてリューディガーが意を決したように話し始める。

「マスター=ラシェル。その…彼はですね。エルフ深界でも有名な精霊なのです」

「やあ、僕の名前ってそんなに知れ渡ってるんだ?光栄だねぇ」

マチル=ソエハがにこにこしながらそれに応じた。

「………。マスター=ラシェル。この際はっきり言っておきますが、彼と契約するのは お止めになった方がよろしいかと」

「リューディガー?いきなり何言い出すの?!」

慌てるラシェルなどお構いなしに、今度はツェツィーリエが口を挟む。


「その通りですわ、マスター。この人と契約したら最後、一生不幸に見舞われますわ」

「わかってないなぁ。僕と契約すれば波乱に満ちた愉快な一生が送れるだけなのに」

「…それが不幸だって言ってるんですわ…」

「ツェツィーリエまで…。私にとっては初対面の精霊なのよ、ちょっと 失礼なんじゃない?」

「んもう、マスターはお気楽過ぎますわよ。グリーンの髪に赤と薄紫のサジェヘッダ、 マチル=ソエハと言えば深界で知らない者はいないくらい有名な精霊なんですってば!」

有名なら凄い力を持っているとか、精霊の中でも珍しい特殊な能力を持っている からとかだろうか…もしかして自分ごときでは扱えないクラスの大精霊とか…などとラシェルが思っていると、その考えを見透かすかのように リューディガーが口をはさんだ。

「マスター=ラシェル。有名とは言っても、決して良い意味ではありませんよ」

「と、言うと?」

「彼は確かに強い力を持った大精霊です。しかし…簡単に言ってしまえば、主人の 命令に従いません」

「へ?」


マスターに従わない精霊など存在するのだろうか。もちろん、契約した召喚精霊ではなく、 一時的に呼び出した精霊が命令に従わないのは考えられることだ。
その時点―まだ精霊使いと精霊との間に契約が成立していない場合―では関係は対等だし、 精霊使いの命令の内容が気に入らないのなら従わないという権利もある。

しかし、一度精霊使いと契約して召喚精霊となったからには、マスターの命には 絶対服従のはずである。


「精霊使いの…マスターの命令に従わない召喚精霊なんているの?」

ラシェルの疑問も最もである。


「だーかーら!マスター、その『命令に従わない精霊』が目の前にいるじゃありませんか! だから契約しない方がマスターの為だってさっきから何度も言ってるでしょ!」

ツェツィーリエが言い飽きたというように答えた。

「マスター=ラシェル、彼は特例みたいなものですよ。ですから、一般的に彼と契約を 結ぶ精霊使いというのは、ある程度の召喚精霊を従えていて、さらにもう少し戦力が あってもいいかなと考える者ですよ。何しろきまぐれなのですから、頼りにしていたら とんでもないことになります」


「……さっきから聞いてれば酷い言われようだよね。ねぇ、ラシェル?」

「えっ?!あっ、あの!ご気分害されましたよね…私がマスターなのにごめんなさい…」

ツェツィーリエとリューディガーが言いたい放題言うものだから、ラシェルは 平謝りだ。


「別にラシェルが謝ることじゃないさ〜」

意外にもマチル=ソエハは怒ってはいない様子だった。だが、掴み所がないのだから 表情に出ないだけなのかもしれない。


「あの…1つ質問、いいですか?」

「ん?なーに、ラシェル?」

「えっと、どうして召喚精霊になった時にマスターの命令に従わないのですか?何か理由があるとか…」


「うーん…そうだねぇ…」


マチル=ソエハはそれっきりしばらくだまりこんでしまった。
ラシェルは失礼な質問をしてしまったのかと内心大焦りだった。






「あ〜、そうだねぇ…僕ってほら、気まぐれだから」


「……………え?」

しばらく考えていた割にはあまりにも簡潔な答えに、ラシェルも思わず聞き返してしまう。

「そ、それだけの理由…?」

「そうだねぇ、しいて言えばそうなるかな〜」

この瞬間、どうしてツェツィーリエとリューディガーが必死に止めるのか、 理由がわかった気がした。


「僕は基本的に楽しいことが好きなんだよねぇ。だからきみの呼びかけも、 面白そうだと思ったからこそ応えたんだよ。あ、言っとくけどね、僕だって 全く命令に従わないわけじゃないんだよ?面白そうだと思ったらむしろ 率先して協力するけどね〜」


「…と、彼は言ってますが。ツェツィーリエ?リューディガー?」

たったこれだけで心が揺らいでしまうラシェル。


「マスター…」

もはやツェツィーリエは呆れてものが言えないようだ。


「2人とも、呼びかけに応じてくれる精霊がいた時は口を挟まないでねって さっき言ったよね?」

「マスター=ラシェル。本当に契約するおつもりですか?」

こちらも半分諦めモード。

「だって…他に呼びかけに応じてくれる精霊がいるとは思えないし… 何より今は時間がないの。私には召喚精霊がいないわけじゃないし…」

「そうそう、ラシェルにはもう2人も召喚精霊いるんだし。もし僕が信用 できないんなら、大事な場面では召喚しなければいいだけのことじゃない? きみたちだって結構魔力強いだろ?自分で言うのもなんだけど、 僕だっていないよりはいた方が役立つと思うよ〜」


マチル=ソエハもすっかり契約を結ぶ気でいるらしい。もはや何を言っても無駄だと 判断したのか、ツェツィーリエとリューディガーも契約することを承諾した。




「2人とも承諾してくれてありがとう。じゃあ、マチル=ソエハさん、早速 契約を…」

「あ、ちょっと待った。きみがマスターなんだからもう敬語は不要だよ」

「あ、そっか。じゃあマチル=ソエハ、契約の儀式に移るね」

「了解〜」


「リューディガー。大精霊の契約用エレメントラウト、描いてくれる?」

「かしこまりました、マスター=ラシェル」


契約用エレメントラウトとは、契約の時に用いる言わば魔方陣のようなものだ。

エレメントラウトは女神ベルンハルデが創造したとされる精霊神で、 全ての精霊の源はこの精霊神だと言われている。
一般的には精霊王エレメントラウトと呼ばれ、精霊族のみならず 精霊使いなどにも広く崇められている存在である。

それが転じて、あらゆる魔方陣のことをエレメントラウトと 呼ぶようになったのである。


契約用エレメントラウトには大精霊用と小精霊用があり、それぞれ大精霊と小精霊にしか作ることが出来ない。

すでに召喚精霊を従えている精霊使いは、自分の召喚精霊に作らせる。初めて 契約する精霊使いの場合は、他の精霊使いの召喚精霊に作って貰うのである。



リューディガーの右手の人差し指の先から、銀色の糸のようなものが出てくる。 その指で空中をぐるっと囲むように軽くたどる。
すると、空中には突如として銀の円が出来上がる。円は全てのエレメントラウトの 基本形となる。

契約用エレメントラウトの場合は円を2重に描き、さらにその中に正方形を描く。 そしてその四隅―右上と左下に精霊王エレメントラウトの名を、左上に精霊使いの 名を、右下に精霊の名を、それぞれ刻む。

契約を結ぶ主従…精霊使いと召喚精霊となる精霊は、エレメントラウトを 挟んで向かい合い、精霊は右手を胸に当て、その場にひざまずく。 そしてお互いに髪を1本ずつ、両側からエレメントラウトに投げ入れる。

髪はエレメントラウトを通り抜けた瞬間に、長い光の糸のようになる。
そしてその光は互いの体に巻きついて、次の瞬間に一瞬にして消え去る。

これは精霊使いと召喚精霊の命を繋ぐ為のもので、その瞬間から精霊使いの生命は 本人だけのものではなくなる。

精霊使いは生命の一部を使って精霊を呼び出し、精霊側では精霊使いの寿命が 縮まるのを防ぐ。どちらが欠けても成り立たない、表裏一体の関係だ。

だからアーリクのように、精霊使い自身が何とも無いのに無理に契約を破棄した 場合、精霊使いに急速な速さで死が訪れるのだ。

この時点ではまだエレメントラウトは空中に存在する。 最後に言葉の契約を交わす。

「精霊王エレメントラウトよ、エルフ族精霊使いラシェルの名において 申し上げます。この者、大精霊マチル=ソエハを我が召喚精霊とし、一生 主従の関係を結ぶものと致します」

「我らの父なる精霊王エレメントラウトよ、我が名は大精霊マチル=ソエハ。 エルフ族精霊使いラシェルを我が主とし、一生この者に仕えることを 我が名において誓います」


先に精霊使いが言葉を述べ、続いて精霊が言葉を述べる。この間、精霊は ずっとひざまずいたままだ。

契約の言葉を交わした後、精霊使いがエレメントラウトに手を伸ばし、 エレメントラウト越しに精霊の額に触れた瞬間にエレメントラウトは消滅する。 この瞬間に、晴れて正式に主従関係になるのである。






「お爺様、お爺様!私の新しい召喚精霊をご紹介します!」

数刻してから戻ってきたラシェルに、ハウゼもアーリクも、少なからず驚いた。 ツェツィーリエ、リューディガーと同じく、まさか本当に契約してくれる精霊が いるとは思ってもいなかったのである。

―そう、只1人の例外を除いては―


「お爺様、彼が新しい召喚精霊です。大精霊マチル=ソエハと言います」

「………!」

ハウゼは今度こそ絶句してしまった。今日は溺愛する孫娘に驚かされてばかり である。

「おや?おやおやおや〜?あなたはハウゼ、だねぇ?」

マチル=ソエハがしげしげとハウゼの顔を眺める。

「マチル=ソエハ、お爺様と知り合いだったの?」

「うーん、知り合いと言うか何というか…ねぇ?」

「お爺様?」

「……この者は!昔わしの祖父の召喚精霊だったのじゃ!」

「えっ…えーと…私からすると曾々お爺様?」

「お前達!」

ハウゼの怒りの矛先はリューディガーとツェツィーリエに向けられる。

「お前達も一緒にいたのじゃろう?深界でこの者を知らないはずはない。なぜ 止めなかったのじゃ!」

「ハウゼ殿。お言葉ですが…我々は何度もお止め致しました。…何度も。 しかし、マスター=ラシェルの御意志が固いようでしたので」

「その通りですわ。私も何度も何度も何度も!お止めしましたわ。 悪いのはマスターです!私達が怒られるなんてお門違いですわ〜」


「マチル=ソエハ…あなた私のお爺様に何したの?」

「何って、まぁ…いろいろ、かな?結構昔のことだから忘れちゃったよ」

「ハウゼ、少し落ち着いて…もう契約してしまったものはしかたがないだろう。 まぁ、元はと言えばわしが原因なのだから申し訳ないが…。 それに彼は、問題がないわけではないが、能力は優秀だと聞く。ラシェルの 助けになるのではないか?」

アーリクに宥められて、ハウゼは盛大な溜息をついた。


(ちょっと、マチル=ソエハ。本当にお爺様に何したのよ…)

(いや、他愛ないことです。お茶目ないたずらを少々)

忘れたなんて大嘘である。彼の『お茶目』とはいったいどれくらいの 範囲までをいうのだろう…とラシェルは祖父を気の毒に思った。




もはや取り返しのつかないことと悟ったのか、ハウゼは改めてラシェルに向き直った。

「ところでラシェル、先ほどは慌てて出て行ってしまったが、人の話は最後まで 聞くものじゃぞ。召喚精霊を増やしたことはこの際置いておいて、 何か重要なことを忘れてはいまいか?」

「重要なこと…?なぁに、お爺様?」

「やれやれ…とんでもない子じゃ。王宮のお務めはどうするつもりじゃ?」

「あっ……!」

ラシェルは頭がいっぱいで王宮家庭教師のお務めなど、すっかり忘れていたのであった。

王宮家庭教師のお務めは週に1回。しかし、ここファスティマ王国から ラリューシカ竜国に行くには、少なくとも10日以上はかかるのだ。


「…もう良い。大事なお務めを忘れていたことは許しがたいが、お前の決意は よくわかった。お前は元々家庭教師代理の身分だ。侍女殿に取り成せば 代理人を立てること、承諾して下さるであろう。…そうだな、早い方がいい」

そう言うとハウゼは部屋に設えてある立派な机に向かい、書状をしたためた。そして彼の 召喚精霊の小精霊を呼ぶと、その書状を託す。小精霊は王宮に向かうべく、すぐさま姿を消した。





日が暮れた頃になって、小精霊が戻ってきた。ハウゼが預けた物とは違う書状を 携えている。書状は蝋で封がしてあり、そこにあるのは紛れもなくファスティマ王家の 紋章だった。

侍女がすぐさま上官に取り成してくれたのだろう、書状を託したその日のうちに、 ハインリヒ国王の手に渡ったようだ。

書状を開いてみると、国王側近のウォレン卿のサインがあった。国王の代筆ということなのだろう。

書状には、今まで無理に代理を務めさせてしまって云々と書かれていた。

ラシェルの父ライナスがいた頃は、ハインリヒ王太子、エルゼ王女、エミーリエ王女に フィランダー侯爵家のヒューバートと、教育課程の王子達が4人もいたので さすがに1人では無理だと判断し、魔術の王宮家庭教師は2人体制だった。

しかし、今教育課程にあるのはアドル王子とクリステル王女の2人のみである。 もはやハウゼ1人でも大丈夫だろうと国王が判断したらしい。

家庭教師など必要があればいくらでも補充することができる。 現に、家庭教師はハウゼとラシェルだけではない。
お作法の家庭教師もいれば、芸術面の家庭教師、馬術の家庭教師に剣術の家庭教師と、 王宮家庭教師は多数存在するのだ。
だから、何も気に咎めることはないと書かれていた。

ただし、末のクリステル王女はラシェルにだいぶ懐いているようなので、 時々王宮に顔を出すことだけは申し付けると書かれていた。

また、ファスティマ、エデティア両国の者が助け合うのも、両国の友好的な関係 をさらに良いものにするとし、道中気をつけるようにとの気遣いの言葉まで 書かれていた。


これで、もはや何も心配することはなくなった。ラシェルは晴れて(そして半ば強引に) ラリューシカに旅立つことになった。


<第1章 完・第2章に続く>



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