見渡す限りの青。 ラシェル一行は今、ラリューシカに向かう船の上にいた。 ラシェルがマチル=ソエハを半ば強引に召喚精霊にした日から、 すでに5日が経過していた。 ベルンハルデ大陸の南東に位置するファスティマから遥か東に位置するラリューシカ に行くには、少なくとも10日はかかる。 ファスティマの玄関口、ベレーンから船に乗るわけだが、王都アルタミアや リルの森があるファスティマ中心部からベレーンに行くまでに、 まず丸2日かかる。 そこから船に乗ること約3日間。もちろん天気の状態によっては船が欠航に なることもあるので、ここでかなり時間がかかる場合もある。 カルス、ラリューシカ、カタラム、ロイスの4ヶ国からなる東の大陸の中でも、 ラリューシカは最も東に位置する国である。 カルスは大陸の北に位置するから別として、ラリューシカに行く為には カタラム、ロイスどちらかの国から陸路でさらに4、5日。 ラリューシカ近辺の海は潮の流れが急で危険なので、航路で直接 ラリューシカに行くことはできない。 そして、最後の難所がカルス、ラリューシカ、カタラムの3ヶ国にまたがる キリーア山脈だ。ここを越えて、旅が順調に進んでいれば 10日目にしてようやくラリューシカの土を踏むことができるのである。 ラシェル達は、今のところ順調に旅を続けていると言えるのだろう。 早ければ今日中にはロイス公国の公都ラコルニーに着く予定だ。 ロイスとラリューシカは直接隣接しておらず、間にはカタラムの領土があるのだが、ファスティマから だとカタラムに入国するより、こちらのルートの方が若干早い。ロイスを 抜け、カタラムの南端を通ってラリューシカに入国するルートだ。 ベルンハルデ大陸の最北、ヒエロニムスからならカタラムに入国するルートの方が早い。 どちらにせよ、カタラムは中心に広大な砂漠地帯が広がっているので、 真中を横切ることは他国の旅人には難しく、結局端を行くことになる。それが北端なのか、 南端なのかの違いくらいだ。 召喚精霊との契約を自ら破棄し、いつどうなるかわからないアーリクも、今の ところは目立った変化は見られなかった。しかし、油断はできない。今は一刻も 早くラリューシカに辿り着くしかないのだ。 ラリューシカ…正式な国名はラ=リューシカ竜国。竜王ヨアヒムが治める、大陸 最東部の国だ。ベルンハルデ大陸で唯一、竜が生息している国でもある。 この国の主な種族は竜人族。その昔、行き倒れて死にそうになっていた所を 竜に助けられ、その血を分け与えられ生き延びた人間族が祖先なのだと いう言い伝えがある。 その竜の血の名残なのか、竜人族には身体的特徴がある。 竜の翼を縮小したような、不思議な形をした耳。牙のような歯と尖った爪。 ただし、歯と爪は個人差があるので、竜人族特有の耳がなければ 人間族の外見とほとんど変わらない者もいた。 そして、赤い瞳の持ち主が多いのも1つの特徴と言えるだろう。 ファスティマからラリューシカに帰国するのか、船には竜人族の姿も何人か 見受けられた。 エルフ族や神人族は割とどの国でも見られるが、竜人族は その大半がラリューシカで暮らしており、あまり他の国で見ることはない。 ラシェルは今までに一度もファスティマから出たことがない。物珍しさ も手伝ってか、ついつい視線が竜人族の方にいってしまう。 「マスター=ラシェル。あまりそのようにじろじろと眺めてはなりません。 不躾な印象を与えてしまいますよ」 「う、うん、ごめんなさい。リューディガーは、別に珍しくないの?」 「過去の私のマスターの中には何人か竜人族もいましたので」 「そうなんだ…」 「僕はねぇ、気が合わないみたいでさ。お堅い人が多いんだよね、竜人族 って。まるで誰かさんみたいだ」 隣のマチル=ソエハがぼそぼそと小声でラシェルに耳打ちした。 「…聞こえていますよ」 「あ、そう?あはは」 「…………」 ファスティマを出発してからというもの、ずっとこの調子である。いつもは きゃあきゃあと賑やかなツェツィーリエですら、この2人の会話には参加 したくないらしい。アーリクと共に遠巻きに見物を決め込んでいる。 「そ、それにしても!何かこっちの方が見世物になってるみたいだよね」 ラシェルは何とか話題をかえようと、涙ぐましい努力をしていた。その努力が 報われているかどうかは定かでないが。 しかし、見世物になっているというのは確かだった。原因はもちろん、マチル=ソエハ である。サジェヘッダというだけでも好奇の目で見られるのに、この容姿である。 リューディガーも人目を惹く容姿ではあるが、マチル=ソエハの比ではない。 「まぁ、見られるのは慣れてるけどね〜。僕ってサジェヘッダだし」 サジェヘッダ以前にそのかっこうに注目が集まるのでは…と誰もが思ったが、それを 口にする者はなかった。 いい話題が出来たとばかりにラシェルが話を続ける。 「私ね、サジェヘッダってマチル=ソエハに会うまで一度も見たことなかったの」 「そうなんだ?サジェヘッダって凄く珍しいから見たことないっていう 人も多いみたいだねぇ。考えてみたら僕も他のサジェヘッダの人 ってあんまり見たことないなぁ」 「ふーん。精霊族みたいに長生きでもあんまり見たことないなんて、 相当珍しいんだ。今までに会ったことのあるサジェヘッダって、どんな瞳の 色だったの?」 「サジェヘッダはねぇ、特にこの色って決まってないらしいからねぇ。 僕が会った人達もほんとにバラバラの色だったよ。僕は赤と紫で同系色だけどさ、 藍と真紅なんて目立つ色合いの人もいたな〜」 「じゃあ、今までに会ったサジェヘッダの中で一番綺麗だと思ったのって どんな色だった?」 「一番綺麗な色?そうだねぇ…」 しばらく沈黙して考えていたが、突然ぽつりと洩らした。 「…碧瑠璃……」 「え?」 「碧瑠璃と、琥珀…」 マチル=ソエハが少し遠くを見るような目で、眩しそうに目を細めながら ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。 「それが、一番綺麗だと思ったサジェヘッダ?」 「え?…ああ、うん…そうだね。碧瑠璃と、琥珀色。僕が会ったサジェヘッダの 中ではあの人が一番綺麗で神秘的な色合いだった、かな」 「ふーん?でもやけにじっくり観察してるんだね…?さては、好きな人だったとか?」 「ふふ。さて、どうだろうねぇ」 マチル=ソエハの曖昧な笑みに、ラシェルはそれ以上追求しなかった。 その色合いを思い出している時のマチル=ソエハの懐かしそうな、 眩しそうな表情。いつもの飄々とした感じとは違って見えた。 「マスター!あちらでお茶とお菓子を振る舞ってるみたいですわ」 ふと会話が途切れた瞬間にツェツィーリエのはしゃいだ声が聞こえた。 「ほんと?皆も一緒に行かない?」 「いえ、私は遠慮させて頂きます」 リューディガーが首を振る。 「わしも遠慮するよ。少し船室で休んでくるとするかの」 アーリクはそう言うと行ってしまった。 「皆行かないの?マチル=ソエハは?」 「いや、僕も遠慮しておくよ。…船の上って退屈なんだよねぇ。ちょっと 休んでいいかな」 「もちろん、かまわないよ」 「…いきなり召喚精霊としての役目を放棄する気か」 リューディガーがいささかきつい口調で問うた。 「ちょっとだけだよ。心配なら君が着いてればいいんだし、何かあったら 起こしてくれればいいんだからさ」 「全く、噂に違わずとんでもない精霊だな。マスター=ラシェル。やはり 私もお供致しましょう」 「すぐそこに行くだけなのに…うん、でも3人で行きましょ。じゃあ、 また後でね、マチル=ソエハ」 ラシェル達が行ってしまった後、マチル=ソエハは船べりに寄りかかって 海を眺めていた。 「…… ……… ……」 何事か呟いたマチル=ソエハの言葉は、誰の耳に届くことなく 海の中に消えていった。 |