第2話  エルフの森


「……………」

私を呼ぶ声がする。とても優しい声。

「………ル……」

声はどんどん大きくなる。答えなきゃ…。

「……ェ…ル……」

何故か声が出ない。答えなきゃ……。



「ラシェル!!」
耳元で叫ばれ、ハッと我に返った。目の前には呆れ顔の女性が1人。
「あれ?エレーナ…………私寝てた?!」

少女は慌てて飛び起きると、一目散に駆け出した。




ベルンハルデ大陸の南東に位置するファスティマ王国。現国王ハインリヒが治めるこの国は、ヒエロニムス神国に次いで歴史が古く、多くの歴史的遺跡が存在する。また大陸随一の農業生産量を誇り、緑豊かな美しい国でもある。

ここはその国の最東部にあるリルの森、通称エルフの森。その名のとおり、エルフが多数住まう森である。


この大陸には様々な種族が存在する。人間族、エルフ族、竜人族、神人族。1番大きな割合を占めるのが人間族で、次いで2番目に多いのがエルフ族である。

例外として精霊族という種族も存在する。彼らは人間族と同じ背丈の大精霊族と小人くらいの小精霊族の2系統に分かれ、普段は人目につかないエルフ深界に生息している。エルフ深界とはエルフの森の奥深くに存在する言うなれば別世界で、そこに足を踏み入れることが出来るのはごくわずかな者のみである。

彼らは多種族に使役される為に存在する。一般的に『魔術』と呼ばれるようなもので、この世界では精霊族を召喚してあらゆる魔術を使う。どの種族でも精霊族を使役出来るが、1番扱いに長けているのがエルフ族と神人族であった。この2種族は大精霊も小精霊も扱えるが、人間族や竜人族はせいぜい小精霊族が扱える程度だった。

もちろん個人差もあるのでエルフ族であっても使役出来ない者もいれば、ごく稀に人間族であっても大精霊族をも召喚してしまう者もいたが。

精霊族も星の数程いるのだが、中には特定の者の呼びかけにしか応じない精霊族もいた。精霊族と召喚者の間で契約を結んだ場合である。これは魔術のセンスが高くなければ出来ない事で、精霊と契約を結んだ者は『精霊使い』と呼ばれていた。



先程までリルの森の片隅で居眠りしていた少女の名はラシェル。大きくぴんと尖った耳が特徴的で、腰まで伸びた蒼の髪を垂らしている。瞳は金色がかった緑。年齢は15、6歳だろうか。彼女もこの森に住むエルフの1人である。

一般的にエルフ族は長寿、不老不死だと言われているが、この大陸においてはエルフの寿命は人間より100年位長い程度だ。よって外見と実年齢はほぼ一致している。



「いつの間に眠っちゃったんだろ……お爺様はお怒りかしら。よりによ って今日だなんて、ついてない…」
ラシェルはぶつぶつと呟きながらも木々の間を駆け抜け、道を急いだ。



エルフが森に住んでいるからと言って必ずしも原始的な生活をしているわけではない。ちゃんと森の中には人間族と同じように村が存在し、住居や簡単な店まで建っている。

エルフは森の外に出ることに何の躊躇いもないので、ちょっとした買い物は森の中で済ませ、大きな買い物をする時は人間族の街まで行くという具合だ。


ラシェルは森の中で1番大きな村ウェークに辿り着くと、さらに家々の間を駆け抜け、やがて1軒の立派な邸宅の前でようやく立ち止まった。


邸宅の前では数人のエルフが忙しそうに走り回っていた。馬車が1台止まっており、美しい毛艶の黒馬が4頭繋がれていた。

忙しそうにしているエルフの1人がラシェルを見つけ、駆け寄って来た。

「ラシェル様!どちらに行かれてたんですか?もう大長老様はお支度済みでございます。さあ、早く。ラシェル様も早く!」

ラシェルは背中を押されて急かされた。

「メイジー、メイジー!ラシェル様がお戻りだ、早くお連れして!」

「まぁ、ラシェル嬢様!今までどこに…とにかく早くお支度致しましょう」

メイジーと呼ばれたエルフが来て、同じくラシェルを急かした。
メイジーはラシェルの世話係のエルフで、ラシェルが小さい頃からずっと面倒を見てきた乳母でもある。



2階にある私室でラシェルは今まで着ていた麻の服を脱ぐと、ハーブを沈めて良い香りがする浴槽につかった。

「お爺様のお支度はもう済んだのね?お怒りだった?」

「お怒りよりもラシェル嬢様を心配しておいででしたわ。『おてんば嬢はどこに行ったか』って」


ラシェルは風呂からあがると、若草色のサテンのドレスを身に纏った。身体の線にあわせてキッチリとした作りになっている。裾に銀糸で刺繍が施してあるほかは、シンプルなデザインである。同じ布地で作ったリボンで腰まで届く蒼い髪を束ねた。
そして緑のビロードのマントを羽織った。ビロードのマントは男女に関わらず正装の時に用いるものである。

「お支度整いましたね。ラシェル嬢様、今日の調子は如何です?」

ラシェルはにっこり笑って言った。

「絶好調よ。ね、ツェツィーリエ?」

「はい、マスター」

ラシェルの肩にはいつの間にか小精霊族が座っていた。
背中に淡い水色の4枚羽を背負い、ハニーブロンドの髪は肩まででふわっとカールしている。つぶらな瞳は緑色に輝いていた。羽の色と同じ淡い水色のローブを見に纏い、ラシェルの肩にちょこんと座っていた。

「いつもながらお見事でございますねぇ……召喚したそぶりも見せないなんて!」

メイジーは感嘆の溜息を漏らしながら呟いた。


ラシェルは若いながらに才能を持った精霊使いであった。流石は大長老様のお孫様、と皆に言われるほどであった。

大長老とは、このリルの森のエルフ達を統括するエルフ族の族長で、ラシェルの祖父にあたる。


「さて、ラシェル嬢様。大長老様をこれ以上お待たせ出来ませんよ。参りましょうか」

「そうね。行こっか、ツェツィーリエ」

「はい、マスター」

小精霊族のツェツィーリエは部屋を出るラシェルの後をふわふわと飛んで追った。



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