第16話  末姫


「…お、お待ちください、ヴィッテル様」

ハイニが珍しく動揺した素振りを見せた。無理もない。いきなり隣国の、しかもまだ11歳という幼い姫を正妃に、などと言われたのだから。それにハイニは先日グレイス公爵家の令嬢カティーナと婚約を済ませたばかりである。


「ヴィッテル殿、実はハイニはこちらに控えているグレイス公の娘と婚約の儀を執り行ったばかりなのです。それに、ハイニとオーロール姫ではいささか年が離れているようにも見受けられるが…」

混乱して続きが話せないハイニにかわり、ハインリヒが口を開いた。グレイス公を始め、その場にいる者達全てが困惑の表情を浮かべていた。この隣国の王は突然何を言い出すのだろう、と。


「もちろん、ハイニ殿の婚約のことは伝え聞いております。そして年が離れているということも。その上でお願いにあがったのです。せめて話だけでも聞いて頂きたいのだが…」

「何か事情がおありですか。いいでしょう、とりあえずお話だけでも伺いましょうか」

「ありがたいお言葉、痛み入ります。実は……」

ヴィッテルは一度口をつぐむと意を決したように話し始めた。


「内部事情をお話しするのは少々気が引けるのだが…現在我が国では2つの家が争っております。1つは我が生家、アーガトン家。そして今ひとつは我が妃エレノアの生家、パッシルバル家。両家とも昔からエデティア王家に深い繋がりのある家柄ですが、パッシルバル家は大公位、アーガトン家は公爵位で格式的にはパッシルバル家の方が位が上なのです。

先代国王に世継ぎが生まれなかった為、アーガトン、パッシルバル両家の嫡男から次期国王が選ばれることになりました。
本来ならばパッシルバル家の嫡男、レナートゥスが次期エデティア国王になるはずでした。彼は私より10才年上で、年齢的にも家柄的にも彼の方がより次期国王に相応しい条件を備えていた。我が生家もパッシルバルと争ってまで私を次期国王に推すのは得策ではないと判断したのだろう、レナートゥスが国王になることを了承しました。

先代国王もレナートゥスに国王の位を譲ると言い残して崩御された。しかし、です。戴冠式の当日になってレナートゥスが忽然と姿を消した。このことに関してはご存知ですな?」

ヴィッテルは一度話すのをやめるとハインリヒに問うた。

「ええ、もちろんです。エデティア国王の戴冠式には私も招かれていたのですから。闇の者にさらわれたのではないかと騒動になりましたな」

ハインリヒは頷きながら答えた。

「当時レナートゥスにはすでに妻がいた。本来ならばエデティア王国の王妃となるはずだった、アガーテです。そしてレナートゥスとアガーテの間に誕生していた子、アンリ。彼もゆくゆくは王太子になるべき存在だった。ところが、レナートゥスはこの2人をも残して忽然と姿を消した」

ヴィッテルはそこで俯くと、次の言葉を搾り出すように呟いた。


「そして…2日前のことです。彼は突如戻って来たのです……そう、何の前触れもなく、突然に」

「今になって?レナートゥス殿が戻ってきた、と?」

「…ええ。彼はどこで何をしていたのか、全く記憶が抜けているのです。行方不明になっていた間の記憶だけが」

「しかし…。いや、このようなことを申すのは失礼だが…彼本人だという証拠は…」

「どこにもありません。ただし、少なくとも外見上だけはレナートゥスそのものでしたよ」

「外見上だけは?……ではヴィッテル殿、やはり貴公も同じことを考えておいでか」

「ええ。闇の者が関わっているのではないか、と…」


闇の者は変化の術を会得している。大陸の人々は過去に何度も、この変化の術に惑わされてきたのだ。聖女がいない今、闇の者が大陸の者に成り済ますというのは容易で充分に考えられることである。しかも、それが不自然な現れ方をした者であれば尚更である。


「ヴィッテル様…そのレナートゥス殿と、今回のお話とはどのような関係があるのでしょうか…」

ようやく落ち着きを取り戻したのか、ハイニが再び会話に加わってきた。


「本題はそこなのです、ハイニ殿。戻って来たレナートゥス…この際本人かどうかは別として。戻ってきて早々に私に国王の座を退けと要求してきたのです」

「それはまた…随分身勝手な話だね。勝手に消えておいて今更王位を退けだなんてさ」

アドルがムッとしたように呟いた。


「アドル、ヴィッテル殿の御前で口が過ぎるぞ」

ハインリヒが軽く嗜めた。しかし当のヴィッテルはさして気にした風でもなく、話を続ける。

「普通ならそう思うでしょうな。しかし、アドル殿。私は確かに正式な王でないこともまた事実だ。先代国王もレナートゥスを次の国王にと言い残された。私はレナートゥスが行方不明になったので一時的に国王の座にいるに過ぎない。彼が戻ってくれば、国王の座を彼に還すのもまた道理が叶っていることなのです」

「ヴィッテル様は国王の座を還しても良いとお思いなの?」

アドルに問われてヴィッテルは深い溜め息をついた。


「彼が要求してくるものが王位だけならば素直に従うつもりでした。しかし、彼は王位以外のものまで要求してきた。……それがオーロールなのです」


「それは…何の目的があって、レナートゥス殿はそのような要求を?」

ずっと腕組みをして佇んでいたエルゼも会話に加わってくる。


「それはアンリの妃にする為です。先程も申したが、我が妃エレノアはパッシルバル家の出。レナートゥスは実の兄にあたります。つまり、アンリとオーロールは従兄妹同士ということになるが…。

レナートゥスはアンリがある程度の年齢になるまで国王を務め、その後アンリに王位を譲る。そのアンリの正妃がパッシルバル家に縁のある者であれば益々パッシルバル家の未来は安泰…そういうことなのでしょうな」


「エデティア王家により多くパッシルバルの血筋を入れる為…か」

ハイニがぽつりと呟いた。


「ハイニ殿、そこでようやく今回お願いしたきことに話が繋がるのです」

ヴィッテルがまたハイニの方に向き直る。

「レナートゥスは…少なくとも現時点では全く信用できない状況です。闇の者は人を操る力もあると聞く。となると、アンリも信用できない。そのような者達に大事な娘をみすみす渡すわけにはいかないのです。

そこで、ハイニ殿にお頼みしたいのです。少なくとも彼の本性がわかるまで…オーロールを正妃の座においては頂けまいか。ファスティマの王太子の正妃ともなれば、いくら大公位のレナートゥスでも太刀打ちできないはず。無茶な頼みなのは十二分に承知しております。だが、どうか私と娘を助けると思って、どうか……」

ヴィッテルは言い終らない内にその場にひれ伏した。

「ヴィッテル様!そのようなことを一国の王がなさるなど…ともかく顔をお上げ下さい!」

ハイニが慌ててヴィッテルを立たせた。


「しかし…これは…。難儀な問題ですな…」

ハインリヒも流石に困惑顔である。


「恐れながら、ヴィッテル様」

カティーナの父、グレイス公爵である。

「お年からいけば、そちらにおられる第二王子アドル様の方がオーロール姫には釣り合うのでは…」

「確かに、年齢的にはそうでしょうな。しかし…失礼極まりないのを承知で申し上げるが、レナートゥスが第二王子の妃という位では納得しないと思うのです。アンリは本来ならば王太子の地位にいるべき者。第二王子の妃にするならアンリの元に、と考えてもおかしくないでしょう」

「それは…」

グレイス公はそれっきり黙ってしまった。


玉座の間には長い間沈黙が流れた。誰もがこの難解な問題をどう解決しようか、必死に糸口を掴もうとしているようだった。


ふ、とハイニが溜め息をひとつ漏らすとヴィッテルに告げた。


「ヴィッテル様、さすがに今日明日ではお答えできかねます。少しの間、お時間を頂けないでしょうか」

「ええ、それはもちろんです。今日は急に押し掛けてしまったが、レナートゥスも今日明日にでもと言っているわけではない。少なくともオーロールが12になるまでは大丈夫でしょう。その間にお返事を頂ければ…」

「……わかりました。その間に…お答えを」

ヴィッテルは心底ほっとした表情で笑みを浮かべた。




「本日は何から何まで無礼極まりない所業、改めてお詫び致します」

ヴィッテルは謝罪の言葉と共にエデティアに帰って行った。ハインリヒが今日はこちらに滞在したら如何かと勧めたが、長時間不在にすると怪しまれると辞退した。彼は今日お忍びでファスティマに来ていたのだ。






玉座の間で話し合いが持たれてから数時間後、ハイニは私室に篭っていた。ハインリヒに今日はともかく休んで、考えるのは明日以降にしなさいと言われて私室に戻ったのだが、この状況で心休まるはずがない。

エルゼ達やヒューバートも心配してかわるがわる部屋を訪ねて来てくれてはいるが、今は誰とも話す気になれなかった。


(今までで一番動揺してるよな…情けない)


隣国の国王の願い、無下に断わるわけにもいかない。しかも、闇の者が関係しているかもしれない。自分が断われば、姫をみすみす危険にさらすことになるかもしれない。

しかし、その姫はたったの11歳。いきなり正妃にと言われても、戸惑うばかり。それより何より、カティーナと婚約したばかりである。カティーナはどうするのか。




「どうしろって言うんだよ……」

普段の彼らしからぬ弱音をはくと、ハイニは頭を抱え込んだ。



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