第11話  スタニスラーフとナジェージダ


「スタニスラーフですって?!そんな、まさか!」

ラシェルは驚きのあまり立ち上がった。


ラシェルが驚くのも無理はない。スタニスラーフはエルフ族の精霊使いで、大陸西部に位置するラリューシカ竜国に仕えている。『偉大なる精霊使いスタニスラーフ』の名は大陸中に知れ渡り、その名を知らぬ者はいないとまで言われている。大陸の精霊使いの中でも5本の指に入る高名な精霊使いである。

ラシェルも面識こそないが、もちろんその名を知っていた。同じ精霊使いとして尊敬もしていた。精霊使いとしては最多の10の大精霊を従え、『闇の者』を撃退する様はある種の語り草になっていた。

しかし、それも聖女がいればこそである。聖女がいる時は事前に対策を立て、『闇の者』を撃退することもできる。だが、聖女がいない今、いくら高名な精霊使いと言えども『闇の者』の前では赤子も同然だった。


聖女は、いつ、どこに『闇の者』が出現するかを一寸の違いもなく予知することが出来る。その予言を精霊に託し、その精霊はエルフ深界を辿ってすぐさま予言された場所に知らせに行く。知らせを受けた側はすぐにその場にいる者を避難させたり、あるいは精霊使いを呼んで精霊を待機させたりと、事前に準備をすることができる。

聖女がいない今、常に完全に無防備な状態である。いくら能力の高い精霊使いと言えども、いつも精霊を呼び出している状態には出来ない。精霊族はもともとエルフ深界の住人なので、ずっとこちらの大陸で生活するということは無理である。

また、仮に精霊を呼び出している状態で『闇の者』に出くわしたとしても、魔術を使う前に一瞬にして連れ去られてしまうのだ。

しかし、手当たり次第にさらっているというわけではないらしく、『闇の者』に出くわしてもさらわれずに助かる者もいた。しかし、今までにどの種族にもさらわれた人が存在するので、種族によって選んでいるというわけでもないらしく、その辺りも謎に包まれていた。ともかく、一刻も早く聖女を見つけ出さないことには手も足も出ないのである。


「まさか、スタニスラーフがのう…。あれはアーリクの誇りであったろうに…」

ハウゼも未だに信じられないというような面持ちで溜め息をついた。


アーリクはハウゼの古くからの友人でファスティマの隣国、エデティア王国にいるエルフである。エデティアにもエルフが生息するニーサの森が存在し、彼はニーサの森のエルフ族長である。ファスティマのリル、エデティアのニーサの他にはヒエロニムス神国にイシードルというエルフの森が存在する。

スタニスラーフはそのアーリク族長の自慢の息子だった。スタニスラーフがラリューシカの竜を護るという、名誉ある竜護官に選ばれた時も、わざわざリルの森まで来て嬉しそうに語っていたくらいである。スタニスラーフがさらわれたと知れば、その落ち込みようは目に見えている。


「今回はカルスとラリューシカの人間が狙われたのね。スタニスラーフがさらわれたということは、竜が目的だったとか…?」

「いや、竜がさらわれたという報告は入ってきておらん。……目的、か。そもそも『闇の者』はどこから来て、何の目的で人々をさらっていくのか。それすらもわかっていないのじゃ。我々には計り知れないことじゃよ…」

ついさっきまではギュンター祭の楽しい気分の余韻に浸っていたというのに、ラシェルの気分は急速に暗くなっていった。






次の日、ラシェルは頭の中に響く声で目が覚めた。

(マスター、マスター!私を召喚して下さい、マスター!!)

「…ツェツィーリエの声が聞こえる…夢かな…」

(マスターってば!寝ぼけてないで早く!!)

「ん〜……いでよツェツィーリエぇぇ〜」


「もうっ、何ですの?!そのやる気のない召喚の仕方は!!」

「呼び出してあげたから別にいいでしょ〜。何よ、朝っぱらから。私は昨日のことで疲れて…」

「そう!そのことで新事実ですわ、マスター!」

「えっ?何?」

ラシェルは一気に目が覚めてベッドから起き上がった。


「昨日たくさんの方がさらわれたのはもうご存知ですわよね、マスター?私、エルフ深界で他の精霊達からいろいろと情報を仕入れて参りましたの。多分王族、貴族クラスの人くらいしか情報が入ってないと思いますけど、一般の人も結構な数さらわれたらしいです。でも、また例によって助かった人も何人かいて…」

「それで、何が新事実なの?」

「これから言いますわよ。その助かった人の中にナジェージダという方がいたんです」

「ナジェージダって、その名前聞いたことあるわ。確か精霊使いよ。私、精霊使いの名前ならある程度知ってるもの」

「そうですわ。そしてナジェージダも竜護官です。スタニスラーフの片腕とも言われている方だそうです。そして、肝心なのはここからですわ」

ラシェルはツェツィーリエの言葉を固唾を飲んで聞いている。

「ナジェージダはスタニスラーフと一緒に行動していて『闇の者』に遭遇しています。それで、ナジェージダの目の前でスタニスラーフがさらわれたと。『闇の者』が突然現れて人々をさらい、一瞬にして消え去ったのはいつもと同じです。でも、彼女は『闇の者』の声を聞いたらしいんです」

「声?」

「『お前は駄目だ、血が…』って聞こえたらしいんです。でも、一緒にいて助かった人は何も聞こえなかったらしいです。今までに『闇の者』の声を聞いた人なんていませんわよね?」

「うん、そんな話聞いたことないわ。でもどういう意味なのかしら、その言葉。お前は駄目だ、血が…。何が駄目なんだろう?ナジェージダが血を流してたとかじゃないのよね?」

「それは違いますわ。ちょうどスタニスラーフと一緒に竜護官の任の最中だったらしいですが、優秀な方ばかりですから滅多に怪我をすることはないそうですし」

「だよね。じゃあ血って、種族のこと?ナジェージダはどこの種族出身なの?」

「彼女は神人族出身です。でも今までにさらわれたことのない種族なんていません。実際に神人族にも被害者はいますわ。ただ…」

「ただ?」

「彼女の名前はナジェージダ=ローレインです。ローレインという名前、何か思い出しません?」

「ローレイン………あっ、神王様だ!」

「その通りです。ローレインはヒエロニムスを治める神王一族の姓です。ナジェージダは神王様の第1子ですわ。本来なら巫女になるべきなんでしょうけど、精霊使いとしての優秀な能力が認められて竜護官になったそうですわ。神王様には他にも御子がいらっしゃいますし」

「これは…どういうこと?ちょっと混乱してきちゃった」

「ですから、神人族はさらわれても、神王一族だけは例外なのではないかともっぱらの噂ですわ」

「普通の神人族と神王一族…何が違うのかしら?」

「神人族は女神ベルンハルデの血を受け継ぐ種族と言われてますわよね?その神王ともなれば特にその血を濃く受け継いでいるのではないかと思いますわ」

「『闇の者』が何らかの理由で女神の血を恐れているってこと?」

「そういう結論に達しますわね」

「じゃあ今までも神王一族に限っては助かってたってこと?」

「肝心のその辺りが曖昧なんです。何しろ神人族はもともと数が少ない上に、さらに神王一族ともなれば尚更ですわ。ですから例えば大陸で最も多い人間族と比べた場合、もとから『闇の者』に遭遇する確率が低いんですわ。」

「なるほどねぇ。でも神王一族なんてほんの一握りでしょ。それだけじゃ何の解決にもならないよ…」

「でも、今まで一切が謎に包まれていた状況からすれば、少しは前進したと思いません?」

「まぁ、それはそうだけど」

「そうそう、ラリューシカのさらわれた王女様、第1王女のブリジット姫なんですって」

「ブリジット姫…『竜の双子姫』の?」

「そうですわ。美しく聡明な姉のブリジット姫と、勇猛果敢に竜を乗りこなす妹のブランシュ姫。ラリューシカは今回相当な被害ですわ。自慢の姫と優秀な竜護官が一度にいなくなってしまったのですから。竜王様は相当なお嘆きだとか。無理もありませんわ」

ラシェルはツェツィーリエの話を聞きながらぼーっと窓の外を眺めた。平和そのものな朝の風景。庭ではメイジ―が花に水をやっている。

今は平和に暮らしているけど、私のもとに『闇の者』が現れないという保障はどこにもない。お父様もお母様も、『闇の者』に連れ去られたのだ…。ラシェルはそう考えると胸が締め付けられる思いがした。



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