第12話  選出の儀


嘆いてばかりではいられないのだ。

ヒカシューはそう自分に言い聞かせた。


ヒエロニムス神国の現神王、ヒカシュー=ローレインは謁見の間に向かう為フリーデル聖殿の回廊を歩いていた。側近の神官を従えている。

ローレイン家は現在窮地に立たされていた。それもそのはず、つい最近『闇の者』が出現して多大な被害が出た為、非難の声が集中しているのだ。新たな聖女様をまだ探し出せないのか、と。

すでに先代の聖女メヒティルトが亡くなってから10年が経過し、その間に姫巫女の交代は2回。そしてつい最近3番目の姫巫女アルムート=スラーヴァの任も解いたばかりである。

『一刻も早く優秀な姫巫女様を、そして一刻も早く次代の聖女様を』

これが各国から定期的に寄せられる言葉である。


(そんなことは、わかりきっている…)

ヒカシューは心の中で舌打ちをした。
しかし、この状況は今までにない事態なのだ。まったく聖女が見つからないなどという事態は。姫巫女の選出に誤りがあったとは決して思っていない。先代の聖女が亡くなってから姫巫女を務めた3人の巫女は、いずれ劣らぬ特出した能力の持ち主だった。

特に先日任を解かれたばかりの巫女アルムートは、近年稀に見る優れた巫女だったと言える。本来なら彼女くらいの能力の持ち主が、姫巫女の座を追われるなどということは有り得ないのだ。しかし、聖女を探し出すことが出来なかった以上、外部からの風当たりはどんどん強くなっていく。

そして今回の一連の事件である。ヒカシューは自分の娘、ナジェージダが助かったということはもちろん安堵した。しかし、その娘が助かったことによって余計に風当たりが強くなったのもまた事実である。

ナジェージダはさらわれた精霊使い、スタニスラーフと行動を共にしていたという。そして、『闇の者』の謎の声。

(一体神王一族の血に何があるというのだ。いくら直系と言えども、この国の、この大陸の歴史は気が遠くなる程長い。女神の血などとうに薄れてしまっているだろうに)

ヒカシューは神王らしからぬ考えを抱いていた。

心無い者の中には、自分達神王一族だけが助かれば他の種族はどうでもいいのだろう、などと言う者もいた。

(冗談ではない。私とて好きでこの神王一族に生まれたのではない。この重圧から逃れられるのなら、喜んでこの血を差し出すというのに)

しかし、今はそんなことを悠長に考えている場合ではないのだ。



今日はこれから新たな姫巫女を定める儀式、『選出の儀』が行われる。聖女を探し出す能力のある神人族。その神人族の巫女の中から、最も相応しいと思われる者を姫巫女に任命するのだ。

メヒティルトが亡くなってすぐの選出の儀は先代神王、ヒカシューの父であるイサアークが行っているので、ヒカシュー自身がこの儀式を執り行うのは2回目になる。2回も選出の儀に立ち会う神王など、ヒエロニムス神国の長い歴史の中でも只1人であろう。



選出の儀はフリーデル聖殿の謁見の間で行われる。

側近の神官が謁見の間の扉を開くと、ざわついていたその場が一瞬にして静寂に包まれた。

ヒカシューは真っ直ぐに歩いて、やがて一番上部にある玉座に腰を下ろした。傍らにはすでに神官長が控えている。

謁見の間をぐるりと見回す。神人族の神官達。そして、この選出の儀の為に集まった神人族の巫女達。それぞれが白の祭服を身に纏い、緊張した面持ちで控えている。


神人族の巫女と言えども、滅多に神王にお目にかかれるわけではない。巫女達は神王を前にして緊張しているのだろう。

だが、それよりもさらに大きな理由があった。その理由は只ひとつ。巫女達は皆、自分が姫巫女に選出されるのを恐れているのだ…。


考えてみれば無理もない。近代稀に見る優れた巫女と謳われたあのアルムートでさえ、この役目を果たすことが出来なかったのだ。それでなくともすでに3人の姫巫女が交代している。これは今までにない不可解な事態である。
いくら名誉ある姫巫女であっても、ここまで来ると誰もなりたがらないのが普通だろう。もし姫巫女に選出されるようなことがあれば、とてつもない重圧にさらされることは目に見えている。


姫巫女は、事前に神王と高位の神官達が出席する会議によって決められ、この選出の儀は誰が姫巫女に選ばれたかを伝える形式的なものである。もちろん選出の儀が行われるまでは、姫巫女が誰に決定したかは決して口外してはならないというきまりがある。なので次の姫巫女が誰かを知っているのは、その会議に参加した者のみである。

当然、次の姫巫女はもう決定している。あとは神王の口からその名が発せられるだけだ。



「神王様が新たな姫巫女の名を告げられる。名を呼ばれたものは前に進み出るように」

神官長が告げた。いよいよ姫巫女の名が発表される。





「ロザリンデ=ローレイン。前へ」

ヒカシューはゆっくりとその名を告げた。できれば告げたくなかった、自分の娘の名を。

その場は途端にどよめいた。神官長が静粛に!と叫んで場を静めた。


名を呼ばれたロザリンデ本人は、信じられないといった様子で大きな蒼い瞳をさらに大きく見開いていた。名を呼ばれたのに、その場に立ち尽くして動こうとしない。

「ロザリンデ=ローレイン。前へ」

ヒカシューに促されて、ようやくロザリンデは前に進み出た。神王ヒカシューの2番目の娘、ロザリンデ。華奢な身体は小刻みに震えているようにも見受けられた。

「ロザリンデ=ローレインに姫巫女の位を授ける」

「これ以上ない…名誉なことでございます。姫巫女の位、謹んでお受け致します…」

ロザリンデは消え入りそうな声でやっとそれだけ言うと、その場に跪いた。

肩が小刻みに震えているのが、ヒカシューにもわかった。

ヒカシューはこの時ほど自分の神王の血を呪ったことはなかった。





事の発端は選出の儀の三日前にさかのぼる。実際に姫巫女を決めるための会議でのことだ。神王、神官長はじめ高位の神官達が集まって次の姫巫女を決定する。

現在いる神人族の巫女の中に、アルムートほどの能力を持つ巫女はいなかった。もちろん優れた巫女は何人かいたが、皆アルムートに及ぶほどではない。しかし、アルムートの任を解いてしまったからには、その中から一番相応しいと思われる者を選ぶしかなかった。

皆で頭を悩ませていた時、1人の神官がこんな提案を持ちかけた。

「つい先日の『闇の者』の一連の騒動で、我が国に対する風当たりは今まで以上に強くなっております。そこで…いかがでしょうか。その、『闇の者』は神王様の血を恐れるとか。聖女様がいない今、せめて姫巫女だけでも『闇の者』に対抗できるように…」

神官はヒカシューの方をちらちらと気にしながら述べた。

「つまり…どういうことだ?続きを申してみよ」

「その…一介の神人族の巫女より、神王様の血筋の巫女が姫巫女になった方が、皆も納得すると思うのです。少しは他国の批判も弱まるかと…。つまり、私は、その…。神王様の血筋の方を次の姫巫女にしてはどうかと、その、そう思います。」

最後の方はどもりながら、神官は意見を述べた。


「つまり…私の娘達の中から選べ、とそう言いたいのだな?」

ヒカシューに問われ、神官は冷汗を浮かべながらも深く頷いた。


「この者の意見を、どう思う?」

ヒカシューはその場にいる全員に問い掛ける。

神官達は最初は隣同士と囁きあったりしていたが、やがて口々にその意見に賛成すると述べた。

他に適任者がいるわけでも、良い案があるわけでもない。最終的にはその意見が採用された。


ヒカシューには全部で5人の子供がいた。その中で女子は3人。長女はラリューシカで竜護官を務めるナジェージダ。彼女は精霊使いで、巫女ではないのでこの対象から外れる。

となると、残りは次女のロザリンデか、三女のジェルトルーデのどちらかである。しかし、三女のジェルトルーデはまだ幼いため、自動的に次女のロザリンデとなる。


長女のナジェージダと違って、気丈なわけでもない。華奢で、今にも消えてしまいそうな儚が漂うロザリンデ。流石は神王の娘と言うべきか、巫女としては優秀な能力を持っている。しかし、姫巫女というあまりにも重い役目に耐えられるだろうか…。

(神王とは名ばかりだな。娘1人護れないようでは…父親失格だ)

しかし、もはやどうしようもない。新たな姫巫女はロザリンデ=ローレインに決定した。




選出の儀が終わり、他の神人族の巫女達はほっとした面持ちでパーリア巫女神殿へと戻って行った。ロザリンデに気遣うような視線が集中したが、下手に慰めの言葉をかけても逆効果になるだけだと判断したのだろう。誰もロザリンデに話し掛けようとはしなかった。

しかしロザリンデだけは巫女神殿へは戻らずに、母アルマの部屋に向かった。


コン、コン。

遠慮がちにドアをノックする。

「どなた?お入りなさい」

部屋の中から声が返ってきた。

「お母様……」

「あら、ロザリンデ。どうしたの?…泣いているのね?」

ロザリンデは目に涙を浮かべていた。

「お母様、お母様…。選出の儀が…姫巫女様、私が次の姫巫女様だって…お父様がそうおっしゃって…」

ロザリンデは涙声で途切れ途切れに言った。

「あなたが次の姫巫女ですって?そんな、まさか…。お父様が、ヒカシューがそう仰ったの?」

アルマも驚きを隠せない様子だった。例え神王の妃と言えども事前に姫巫女の名を知ることはできない。

「どうしよう、お母様…。私、姫巫女様だなんて…そんな大事なお役目できないわ。だってアルムート様でさえ聖女様を探し出せなかったのよ。私には無理…」

「ロザリンデ、最初からそんなに決めつけては駄目よ。あなたには巫女としての才能は充分にあります。それは私が保障しますよ」

とは言ったものの、アルマも不安を隠せなかった。人一倍心の繊細なこの優しい娘に、重責が圧し掛かる姫巫女は務まるのだろうか…。


その時、またドアがノックされドア越しに声がした。

「アルマ様、こちらにロザリンデ様はおいででしょうか?」

ロザリンデ付きの女官の声だった。

「ええ、いるわ。」

「アルムート様が是非ともロザリンデ様にお会いしたいと…巫女神殿の祭壇の間でお待ちでございます」

ロザリンデはまだ涙を浮かべて、誰とも会いたくない様子だ。

「ロザリンデは私と話があります。それが終わり次第、そちらに行くとアルムートにお伝えなさい」

「かしこまりました、アルムート様にはそのように。では、失礼致します」

女官の足音がだんだん遠のいて行くのを確認して、アルマはロザリンデと向き合った。

「そんな泣き腫らした顔では誰とも会いたくないでしょう。落ち着くまでこの部屋にいなさい。でも、ちゃんとアルムートに会わないと駄目ですよ。彼女は先代の姫巫女なのだから、何か良いアドバイスを聞けるかもしれませんよ」

ロザリンデはこっくりと頷いた。

「気をしっかりお持ちなさい、ロザリンデ。…そうね、お茶を入れましょうか。あなたの好きな月花茶を。気分が落ち着くわ」

母が精一杯自分に気を使ってくれているのを感じたロザリンデは、また涙が溢れそうになって必死に堪えた。



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