第13話  2人の姫巫女


ロザリンデが母アルマの部屋を後にした時、すでに辺りは闇に包まれていた。1年中雪が降るヒエロニムス神国の夜は冷える。暖かい暖炉の火が灯る部屋から一歩出ただけで、そこはもう別世界だ。空気がぴんと張り詰めていて冷気が肌に突き刺さるようだ。


ロザリンデはお付きの女官も従えず、1人でパーリア巫女神殿へ向かった。祭壇の間にはアルムートが待っているはずだ。


母アルマの部屋はフリーデル聖殿にあるので、祭壇の間に行くには巫女神殿へと繋がっている回廊を渡らなければならない。普段なら女官達ががせわしなく行き来しているのだが、今はちょうど夜の祈りの時間のためか人影は全くない。回廊にはロザリンデの足音が響くのみだ。

雲に隠れて月も見えず、回廊の窓から見た外の景色は闇に包まれている。何もかも飲み込んでしまいそうな漆黒の暗闇。回廊の両脇に点々と置かれたろうそくの灯りがひどく頼りなく思えた。

(まるで、今の私みたいだわ。頼りなく、今にも消えてしまいそうなこのろうそくの灯りが…)

ロザリンデは一本のろうそくをまじまじと見つめた。時々風が回廊を吹き抜けるので、灯りがゆらゆらと小さくゆらめいている。

私はどうなるのだろう。姫巫女に選出されてしまった自分は。ちゃんと務まるのだろうか。

ロザリンデはしばらくろうそくの灯りを見つめていたが、アルムートを待たせていることを思い出して、祭壇の間へと急いだ。





パーリア巫女神殿の祭壇の間は姫巫女専用の祈りの間である。ここで姫巫女は女神ベルンハルデに祈りを捧げるのだ。


祭壇の間には暖炉もなく、空気はひんやりとしていた。明かりといえば回廊と同じく、ろうそくの灯りが辺りを照らしているのみだ。

祭壇にはベルンハルデの像が掲げられている。アルムートは祭壇の前に跪いて、一心に祈りを捧げていた。アルムートが身に纏っているのは姫巫女の祭服ではなく、一介の巫女と同じ服だった。

ロザリンデは話し掛けるのを躊躇って、しばらく背後に控えていた。



やがてアルムートが静かに立ち上がり、ゆっくりと振り向いた。

「ロザリンデ様、このような所にお呼びたてして申しわけございません。非礼をお詫び致します。でも、どうしてもロザリンデ様と2人きりでお話がしたかったのです」

「アルムート様…」

ロザリンデがそう呼ぶと、アルムートはゆっくりと首を振った。

「いえ、私はそう呼ばれるべき身分ではありません。一介の巫女なのですから。新たな姫巫女様はロザリンデ様、貴方なのです」

「でも、アルムート様と呼ばせて下さい。お願いします」

「ロザリンデ様がそうおっしゃるのなら…私に止める手立てはございません」


2人はしばらく無言のまま向かい合っていた。静寂が辺りを包む。まるでこの世界から音という存在がなくなったかのように。



「あれは…4年も前のことになるのですね。私が姫巫女に選出された4年前のあの日は…」

アルムートが口を開いて語り始める。

「4年前の選出の儀のこと、今でもはっきりと鮮明に覚えています。先々代の姫巫女様が任を解かれて、3度目の選出の儀が行われたのです。異例のことですわね」

「皆アルムート様が次代の姫巫女様だろうと、噂し合っていましたわ。私は巫女としての修業を始めて間もない頃でしたが、その私ですらそう思いましたもの」

「皆さま…私をかいかぶり過ぎたのですわ。現に私は聖女様を探し出すことができなかったのですから」

「そんなこと…」

「事実は事実なのです。ロザリンデ様、本音を言いましょうか?私…本当は姫巫女になどなりたくありませんでした。…姫巫女になることが恐ろしかったのです」

「!」
(この類い稀な能力を持つアルムート様ですら、姫巫女に選出されるのを恐れていたというの?)

「ロザリンデ様?意外でしたか?」

「ええ…だって、アルムート様は類い稀な能力を持つと言われた巫女様ですもの。アルムート様も、姫巫女になることが怖かったと…?」

「ええ、もちろんですわ。とても、とても恐ろしかったのです。名誉あるお役目はそれだけで重圧が圧し掛かってくるものです。さらに先々代、先代の姫巫女様たちはなぜか聖女様を探し出すことができなかった。これは今までになかったことです。そのような状況で新たな姫巫女にと言われても、誰でも同じような心境になると思いますわ。そう…ロザリンデ様、今の貴方のように」

「…………」

「誰でも最初は恐ろしいのです。名誉あるお役目を頂いた嬉しさ、誇らしさよりも、不安の方が大きいのですわ。お役目が務まるのだろうか、私にはその力があるのか、と」

「でも、アルムート様は…いつもとても堂々としてらしたわ。姫巫女様としての品格、行動、全てにおいて…」

「最初は恐ろしかった。でも、いつまでもそこで留まっていては駄目なのです。ロザリンデ様、嘆いてばかりではいつまでたっても前に進めませんわ」

「嘆いてばかりではいられない…」

「もちろん、最初は戸惑いを隠せませんでしたわ。でも、今では姫巫女に選出されたこと、とても誇りに思います。それと同時に、聖女様を探し出せなかった自分がとても悔しく、不甲斐なく感じるのです。初めに感じた恐ろしさは、いつの間にか消え去りました」

「アルムート様も最初は私と同じお気持ちだったなんて…」


「ロザリンデ様」

アルムートはロザリンデの手を取ると、真っ直ぐに瞳を見つめてきた。

「最初は恐ろしくてもいいのです。戸惑いを感じながらでもいいのです。少しずつ、ゆっくりと姫巫女のお役目を理解していけば良いのです」

「ありがとう…ありがとうございます、アルムート様…」

つい先程まで、アルマの部屋で涙を浮かべていたロザリンデ。その顔にかすかな微笑みが浮かんだ。



「聖女様を探し出せなかった私が言うべき言葉ではありませんが…私ごときでお役に立てることがあれば、いつでもお申し付け下さいませ。精霊を飛ばして頂ければ、すぐにお返事できると思います」

「えっ…?アルムート様、どちらかに行かれるの?」

「ええ。すでに神王様の許可も頂いてあります。私…ラリューシカに行こうと思っているのです」

「なぜ、ラリューシカに?」

「私なりの罪滅ぼし、でしょうか…。先日の『闇の者』の襲撃によって、ラリュ―シカは特に大きな被害を受けました。偉大なる精霊使いスタニスラーフ様、ブリジット姫様、そして多くの一般市民が…。もちろん、被害が出たのはラリューシカだけではありませんし、1国だけに肩入れするのもいけないことだとは思います。でも、ナジェージダ様がお聞きになったという『闇の者』の声がどうしても気になるのです。ラリューシカに行けば何か手がかりが掴めるかもしれません」

「お姉様が聞いた、『闇の者』の声…」

「姫巫女としてのお役目を果たせなかった以上、せめて他のことで役に立ちたいのです。只の巫女という立場ではありますが、私も神人族の1人として間接的にでも聖女様をお探ししたいのです。完全に自己満足なのはわかっていますわ。でも、このまま一生を神殿の奥深くで過ごすなど、皆さまに申しわけなくて耐えられないのです」

「でも…もし、ラリューシカの民にアルムート様が先代の姫巫女だと知れたら?『闇の者』に襲撃された悲しみを、アルムート様にぶつけてくる者がいないとも言い切れませんわ。危険ではありませんの?」

「それは…確かにそうでしょうね。私が聖女様を探し出せなかったばかりに『闇の者』が現れ、被害者が出たのは紛れもない事実なのですから。それでも、私はラリューシカに赴くつもりです」

「アルムート様…」


ロザリンデは祭壇の前に進み出ると、その場に跪いた。

「我らの母なる女神ベルンハルデよ、どうかこの者にご加護を…」


ロザリンデは姫巫女として初めての祈りを捧げた。



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